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2015年7月

越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,25

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

商いの道 その9

 

行商人が行商先に住みついて新しい世帯をもったり、

婿に入ったりして、そこで新しい住まいとして行商を続けたり、

または金物小売り店を開いたりしている例が案外に多い。

 

その中では、前から呼び名の 「越前屋」 をそのまま

使用しているものもある。

 

東日本を中心にして現在 「越前」 の名を用いて金物業

及び機料、雑貨業を営んでいる人達及びその祖先、

近親者は何らかの意味において、越前鎌行商人と

関係があったように思われる。

 

更に述べれば、越前屋を名のらない越前出身の金物店、

農器具店、雑貨店が全国各地に多く存在するのである。

 

また漆かきが全国各地に出稼ぎに行っていた関係からか

今も漆商、漆器商で福井県出身が非常に多い。

 

これによってもエネルギッシュな越前鎌行商人の、

活動の一端がしのばれるのである。

 

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,24

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

商いの道 その8

 

宿では、その日の売り上げの記帳、整理、

翌日の準備もしたが娯楽にふける時も

あっただろう。

 

同宿者と囲碁や将棋をしたり、酒を飲み唄をうたい、

世間話に花をさかせ、博奕や女に現を抜かした事も

あったであろう。

 

また盆踊りや夜相撲、浪花節や講談、村にかかった

どさ回りの芝居の見物に行商の疲れを癒した事も

あっただろう。

 

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,23

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

商いの道 その7

 

農民と農民の素朴な商いが始まるのである。

 

行商人も自宅にあっては農民であるから生粋の商人のように

利に目敏い、利に険しい売込みはしなかったにちがいない。

 

いや、すばしこい売込みをしない方が、買う方も安心し

信用したと思われる。

 

故郷には妻や子が、田や畑が待っている農民である。

 

一山村に生まれたが故に、何かの副業に従事しなければならない

宿命を受けて、行商に出ているのである。

 

鎌行商人の道は一般商人の商いの道とは

違ったものがあったようだ。

 

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,22

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

商いの道 その6

 

当時の農家の副業としては、行商は頭を使い体力をひどく消耗して

つらい仕事ではあるが、経済的には利益の多い副業であったと思われる。

 

現在米一俵は八千五百円ほどだが、これを基礎にして

計算してみると面白い。

 

鎌行商人は重い荷を背負い、一日に十軒か十数軒ずつ訪ねながら

村から村へ家から家へ二月も三月も商いの旅を続けた。

 

雨の日風の日もあり、余り売れない日や商品に文句を

云われることもあっただろう。

 

木枯らしの吹く冬の荒野を一人で、次の山村をめざして歩いた事もあっただろう。

 

尺余りの雪をかき分けて山陰の一軒屋の戸をたたいた事もあっただろう。

 

また炎暑の中を汗とここりにまみれて農家の縁先に荷をおろした事であろう。

 

そしてそこで商いが始まる。

 

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,21

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

商いの道 その5

 

鎌行商人の売上高はどれくらいであったのだろうか。

 

服間村提には、文久年間の冬業種の一年間一戸あたりの

収入を米俵に換算して次のように記されている。

 

・酒造業  50俵  5戸  ・行商人  35俵  30戸

・油屋   35俵  3戸  ・荒物豆腐業  20俵  5戸

・大工職  20俵  5戸  ・石工  20俵  2戸

・鍛冶職  20俵  2戸  ・木挽職  10表  15戸

・桶屋職  0表  5戸  ・漆かき職  8表  358戸

計429戸

 

服間村全戸数700戸のうち429戸は農業以外の職業に

従事していて、そのうち行商人は酒造業についで

二番目に高い年収をあげている。

 

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,20

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

商いの道 その4

 

刃物や金物は、食料品や衣類とちがって、それほど消耗が

はげしくないし、貸付けが主な取引で資本をねかしておく必要もあるので、

年に二度が良いのである。

 

武生市内の行商人の中には年中行く者もあったが、

これは特殊な例である。

 

戦後は商品を自動車に積んで石川、富山、岐阜、愛知、静岡方面へ

出かける者もあり、年に五、六回行く者もある。

 

その場合販売する商品は、鎌、庖丁類は全体の一割か二割で

家庭金物、その他多くの品物を取り扱っている。

 

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,19

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

商いの道 その3

 

行商人は卸問屋へ行って注文をし、そこから直接行商先の旅館とか

常宿の農家へ商品を送る。

 

県外の播州とか新潟などの卸問屋へ直接注文する事もいくらかあるが、

その時は電話などで注文をして商品を行商先の旅館などへ直送してもらう。

 

出張する時期は太平洋戦争ころまでは、年に二度であった。

 

つまり農閑期の十一月から三月ころまでと、

六月から九月ごろまであった。

 

前者は主として売り込みで、後者は主として集金であった。

 

農閑期の農民の副業として年に二度は適度であった。

 

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,18

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

商いの道 その2

 

武生で商品を仕入れる場合は、昭和初期ごろまでは

鍛冶屋から直接仕入れる行商人が多かったが、

現在はその九割までは、卸問屋から仕入れている。

 

鎌や庖丁だけでなく、他の多くの種類の刃物や金物を

用意しなければならないからである。

 

行商人と取引をしている数件の卸問屋は、行商人が要求する

数多くの刃物や金物を各地の産地から取り揃えているので、

行商人はその卸問屋で、すべての金物や刃物の商品を

仕入れる事ができるのである。

 

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,17

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

商いの道 その1

 

江戸時代から現在まで、鎌行商人は全国各地へ出かけたが、

特に中部地方、関東地方が多かった。

 

現在商いに行く主な府県は、石川、富山、岐阜、長野、愛知、静岡、

山梨、神奈川、東京、埼玉、千葉、茨城、群馬、福島、山形、岩手、

青森地方である。

 

仕入れる商品は、太平洋戦争のころまでは越前鎌が主で、

その他武生で生産した鋏、鋸、剃刀、やすり、庖丁などで、

たまには播州の小野や三木の鎌および各種刃物、

堺の庖丁、新潟三条の刃物、信州古馬の鎌なども

仕入れ販売した。

 

戦後は、行商先が純農村から近郊農村または近郊住宅地域に

大きく変貌した所では、一般家庭刃物や家庭器具、建築用材まで

手広く販売する行商人も現われた。

 

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,16

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

行商の里 その4

 

服部谷や水間谷月尾谷の部落の中には、

今は鎌商いをする家は一軒もないが、

明治大正時代には数軒は鎌行商をしていたと

話す部落も多い。

 

そちらの話から推定すると、明治時代には

約二百名前後の者が行商したのではないだろうか。

 

昭和十三年に越前金物行商組合が成立した。

 

創立当時の組合員数は百七十三名であった。

 

これによれば服部谷、水間谷、月尾谷、河和田谷、鞍谷の

五つの谷の人達合わせて百五名で全体の六十二%を

占めており、更にその近隣の旧粟田部町、旧南中山村、

旧上池田村、旧北中山村の合計四十四名を加えれば、

全体にては八十六%を占めるのである。

 

これらの旧町村は当時はすべて今立郡に属しておったので

鎌行商人の八十六%は今立郡下の人達によって

営まれたという事になる。

 

当時組合に加盟しなかった者は僅少である事からみても、

鎌行商の主役は今立郡下の農民であったと考えられるのである。

 

 

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