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2015年6月

越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,14

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

行商の里 その2

 

内訳は次のように服間村是に記されている。

 

漆かき職人三五八戸、行商者三十戸、木挽職十五戸、酒造業五戸、

荒物豆腐等五戸、大工五戸、桶屋職五戸、油屋三戸、石工二戸、

鍛冶職一戸。

 

漆かき職が多いのは前に述べた通りだが、それに次いで多いのが

行商者である。

 

明治時代になると漆かき職の数が激減し、鎌行商の数が激増した。

 

それは江戸時代のように漆樹の栽培を積極的にやらなくなった事や、

中国産の漆液が大量に、しかも安価に輸入されたからである。

 

 

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店舗イベント 『結の故郷越前おおのプレミアム商品券』

これは各自治体で内容は違っていますが、大野市では

1枚1,000円の商品券を13枚セットにし [13,000円] を

10,000円で販売しております。

 

1セット3,000円もお得で、1世帯当たり2セットまで

購入することが出来ます。

 

使用期間は、2015年6月13日(土)~2015年12月12日(土)

までの約半年。

 

この期限を過ぎてしまうと、使用出来なくなります。

 

また結の故郷越前おおのプレミアム商品券を

お買い求めいただいた方には、

アンケートに協力いただけますと抽選で、

ふとん掃除機、里芋、地酒セット、とんちゃん等、

素敵な景品をプレゼントします。

 

プレミアム商品券の取扱店は、約300店あり

当店も参加させていただいております。

 

 

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店舗イベント 『ぐっとキャンペーン』

只今、大野商工会議所の主催による 『ぐっとキャンペーン』 

という、イベントを開催しております。

 

これは、6月15日(月)~7月12日(日)の約1ヶ月の期間中に

対象店舗にて、1000円お買い上げごとに 「ぐっとシール」

1枚を進呈。

 

ご希望のコース分のシールを専用の応募台紙に添付の上、

市内16か所に設置された専用応募箱に投函、

又は郵送にてご応募出来ます。

 

超プレミアム20枚コースの台湾旅行ペアご招待 5本、

プレミアム10枚コースの5000円相当の賞品 30本、

ちょっとプレミアム5枚コースの1000円相当の賞品 50本が、

厳選な抽選により当選が決定。

 

「ぐっとシール」をあつめて、プレミアム賞品をゲット‼

 

市内在住でない方も応募可能です。

 

当店もこのイベントに参加しておりますので、

わからない事がありましたら、

気軽にお問い合わせください。

 

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,13

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

行商の里 その1

 

鎌行商の里は耕地の少ない山村である。

 

今立町の月尾谷のほかにも、河和田谷、服部谷、水間谷、

それに鞍谷など旧今立郡の山村が、鎌行商人の主な里であった。

 

これらのうち、服部谷と水間谷とが旧今立郡服間村であり、

服間村は江戸時代から鎌行商人が多く出かけた村であった。

 

全七百戸のうち専業農家は二百七十一戸にすぎず、

残りの四百二十九戸は商、工業などに従事するか

農業と行商との兼業によって生活をしていたのである。

 

農業だけでは生活できなかった。

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,12

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

移り変わり 明治以後 その3

 

組合の設立目的が、戦時中の物資不足を克服して鎌製品を確保し、

需要家に従来通りの配給を続けようとするものであった。

 

しかし、次第に戦局の熾烈化につれて鉄資材の確保が困難となり、

昭和十八年ころには有名無実の組合となった。

 

行商人の食糧や旅行も不如意となり、

終戦前後には組合は自然消滅した。

 

戦後の混乱期には一時鎌行商人が激増した事もあったが、

現在はその数も減少し百名前後と考えられる。

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,11

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

移り変わり 明治以後 その2

 

当時、今立郡選出の県会議員若泉孝治氏や、武生打刃物卸商

加藤時太郎氏等の斡旋によって組合が設立された。

 

初期組合長は領家の若泉嘉七氏、副組合長に落井の

石黒治太夫氏、理事十名、組合員百七十名余であった。

 

組合員の大半は今立郡内の行商人で、その他武生近傍、

丹生郡内の行商人もあった。

 

行商先は、組合長若林嘉七氏の話では、青森、岩手、茨城、

千葉、群馬、新潟、岐阜、富山、石川、静岡、三重、滋賀、

和歌山、鳥取、熊本などであった。

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,10

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

移り変わり 明治以後  その1

 

明治から現在まで鎌行商は続いてる。

 

農閑期を利用する山村農民の副業が主であるから、

華々しい活動は見られない。

 

細々と営々と続いた。

 

一人でやる者、多数の売り子を雇って手広く

営業する者もあった。

 

そして昭和十三年には組合が結成された。

行商組合である。

 

組合の正式のなまえは、越前金物行商組合と

唱えた。

 

日華事変が始まった翌年の昭和十三年頃から、

行商も許可書がなければできなくなった。

 

福井県庁の許可書と行商先の府県の

許可が必要であった。

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,9

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

移り変わり 漆かきと鎌行商 その2

 

漆かきが出稼ぎに出発する時には、必ずといってよい程、

越前鎌を持って行った。

 

かき子が雨天で仕事が休みの時、持って来た越前鎌を

近くの山村の人達に売り広めたのであろうし、また

漆かきの親方が漆樹を見回り、予約する時などにも

相当多量に鎌を販売したともいわれている。

 

全国各地に出稼ぎした漆かきが、品質の良い越前鎌を

持参し、自信を持って売り広めた。

 

その中には、鎌の行商人に商売替えをした者があった。

 

特に明治に入って中国産の漆液が大量に安価に輸入され、

日本産の漆が売れなくなると鎌の行商に転職するも者が

増大した。

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,8

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

移り変わり 漆かきと鎌行商 その1

 

鎌行商人は、もと漆かき職人が多かったとも云える。

 

漆かきとは、漆の樹皮を傷つけて流れ出る液汁を

採集する人の事で、江戸時代から今に至るまで

農家の副業として、盛んに行われた。

 

各大名は茶、楮(こうぞ)、桑とともに四木と称して

漆樹の栽培を奨励した。

 

漆の漆器、火薬武具の製造や船の塗料などに

欠く事が出来ない品だからであった。

 

河和田(鯖江市内)、池田(池田町)、服間(今立町内)

岡本(今立町内)などの山村の農民が、

江戸時代から全国各地に漆かきとして出稼ぎをしていた事は、

有名である。

 

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越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,7

『越前打刃物の歴史を調べていると、

知人から一冊の書物を紹介して頂きました。

 

昭和四十六年に発行されたこの書物は、

著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。

 

未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、

この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。

 

永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、

全国に広まった事実の物語です。』

 

移り変わり 江戸時代から その4

 

文政五年(1822)に問屋の総代久津木猪三郎と熊谷弥助が、

三十名を代表して町奉行に株仲間の許可を文章で嘆願した。

 

この時、鍛冶仲間は総休みをして問屋側と話し合い、

町奉行にも願書を出して猛烈に反対した。

 

その理由は、鎌の販売が三十名の問屋によって独占されると、

製品を安く買いたたかれる事と、鎌を行商人に売る事が

出来なくなるからであった。

 

この年には鎌問屋株仲間は結成されなかったが、

それより十数年後の天保年間には遂に許可された。

 

しかし、鍛冶職が行商人に直接販売することは自由であった。

 

従って鍛冶職の鎌の販売先は、府中鎌問屋と

府中周辺在住の行商人と、越前国以外の各地方からの

直接注文の三通りであった。

 

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